上武樹脂鉄道振興会

この先、揺れる事がありますのでお気をつけください。

2023年03月

製品についての記事もだいぶ空いてしまいましたが、その間に1つネタを仕入れてきたので取り上げたいと思います。
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それがこの「人形遊びD51」に付属する旧型客車で、国鉄35系客車に属するオハフ33がモデルと言われています。

この旧型客車は2001年に小改良を加えて「プラキッズC12蒸気機関車」として再販されており、その後も「サウンドC62」や「東日本スペシャルセット2」などにも収録されています。屋根カバーが付属するようになったのもこの時期からです。
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(D51牽引の旧型客車を撮影していなかったためC61で代用)

ただD51が本来貨物用なのはさておき、数ある客車の中でなぜオハフ33になったのか疑問に思った方もいるのではないでしょうか。当時ならSL奥利根(現・SLぐんま みなかみ)で12系がメインに使われていましたし、旧型客車にしても43系(スハフ42・オハ47)*1の方が多かったのでそちらを選ぶという選択肢もあったはずです。

ですがオハフ33が選ばれた理由は実車とはまた別にあります。それがこちら。
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同じトミーのTOMIX
*2から発売されていたNゲージのオハフ33です。TOMIXとして初の旧型客車で発売は1979年、人形遊びD51より15年近く前という事になります。前述の通りモデルとなった形式が判明しているのもこのためです。
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「実車が同じだから当たり前だろ」と言われるかもしれませんが、サボ受けや号車札受け、ドアなど明らかに同時期の製品と比べてディテールが細かくモールドされています。同時に発売された人形あそびのぞみ号も人形遊び通勤電車もここまでは造りこまれていないのでTOMIX製品の影響を受けていると言って過言ではないでしょう。
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妻面も90年代の製品の中では突出して造形が細かく、貫通幌が別体化されているかという差こそありますが、はしごのモールドやテールライトが色差しされていない点まで同じです
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元々同じ会社で開発・販売していたためか他にもプラレールとTOMIXで発売時期が近い、もしくは造形が似ている製品が数点確認されています。それらをまとめた資料が出てくる日は……一体来るのでしょうか。

という事で宣伝です!!
明日からの2日間、町屋駅前のムーブ町屋で開催される「鉄道同人誌まつりでサークルいなかのえきより新刊「プラレール大全2が頒布されます! 特集記事の1つにTOMIXとプラレールの製品を比較した「TOMIX VS プラレールが収録されていますので、ご興味のある方がいらっしゃれば是非是非お越しの上でお手に取ってみてください!

鉄道同人誌まつりの詳細はこちら↓

*1 現在主流の旧型客車であるスハ43は1974年に絶版・再販は2003年
*2 現在はトミーテックとして分社化
*3 "プラキッズC12蒸気機関車"付属品よりテールライトが塗装されるように変更
  TOMIX製品のテールライトが塗装されているのは前所有者による色差しのため

前回の記事はこちら

東日本新幹線運転会が4時間睡眠、今回は2時間睡眠で迎えてしまった本番当日。いかにもやらかしそうな雰囲気ですが無事故を目指し会場へ。結論から申し上げますとこの後派手にやらかします。
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…の前に朝食と昼食を調達すべくセイコーマート伊奈大針店へ。ここも前回と同じですが今回は「沿線の予習のため」という大義名分がありますので… なお同時に駐車場へ入ってきた車がやけに見覚えがあると思っていたら案の定降りてきたのは天通団役員ご一行。タイミングも駐車位置も完全に前回と一致でした。
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「レターパックでプラレール送れ」はすべて詐欺です。というか厚さ制限に引っかかるのでそもそもダメです。
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ダイヤ運転の前に各車両を所定の駅に集めて速度測定の準備へ。今回担当する事となったのは機関車で、測定区間が盛岡駅→青森運転所と比較的長い区間な上に対象車両も30台と多めであったため、複線である事を活かし2台同時に測定する事で対処。案の定低速なギヤボックスを持つDD51とDE10が規定タイムギリギリで運用離脱の危機すらありましたが、かろうじて所定本数を確保の上で完了させる事ができました。
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これは測定区間終端の近くにある青森運転所を撮影した一枚。ブルートレインと長距離特急が並び、さながら全盛期の光景でしょうか。

全路線で測定が完了し、各車両を所定位置へ移動させてからダイヤ運転の説明を受けた後に配属駅を決める段階へ。「実物の土地勘があるから」という理由で単線区間ながら江差線(現・道南いさりび鉄道)の上磯駅を志願しましたが、「極度の寝不足ならもっと簡単な駅へ行け」と当時の自分に言いたいところです。
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この後一旦昼休みとなり明けてからダイヤ運転を3本連続で行う流れとなりましたが、やはり2時間睡眠の反動により極度の眠気に襲われます。起床後にキメたはずの魔剤ももはや効果なし。

昼休みが終わり所定位置に配置となりましたが、この時に「途中での駅移動は無い」という事を聞かされて3番目のダイヤで既に先が思いやられます。まだその直後に起こる事を知る由もなく。

【現行ダイヤ①】
・担当:上磯駅(上下)
・本数:下り22本/上り23本
・通過列車:あり
・退避列車:なし
・当駅始発:あり

昼夜問わず貨物列車を中心に多数の列車が通過する駅なので、6時から走り始める新幹線とは異なり2時台から既に列車が走行しています。とりあえず1本目の上り列車(98レ)は所定通りに通過させ、続いて4時台に1本目の下り列車(3057レ)を行き違い待ちのために停車。ところがこの頃隣の五稜郭駅では2本目の上り列車になるはずの6092レで機関車交換の作業が遅れており、3057レの発車時刻になってもやってくる気配は全くなし。

当然このような場合は対向列車が到着するまで発車を見合わせるのが正しい手順なのですが、無意識にストップレールに手をかけてしまい3057レは定刻通りに上磯駅を発車。それと同時に背後の五稜郭駅から「6092レ、10分延ー」と連絡がやってきて

「…10分延!?」
とようやく遅延に気づくも既に上下方向から列車は発車しており、駅間に設置されていた東久根別駅で無事にご対面。5時台前半に正面衝突という記録的な早さでミスを起こしてしまいました。

ちなみに今回の単線区間での扱いはかつての連鎖閉塞に似ており、実際に対向列車が遅れているにもかかわらず発車させた事で正面衝突に繋がった羽越本線列車衝突事故が1962年に発生しています。まあ今回は交換駅が所定から変わっていないのに起こしているのですが。

これが引き金となって遅れが10分延から2時間延まで増えて6時を迎える前に無手数料払い戻し(ムテハモ)の基準に達し、その後も

・朝ラッシュの普通列車が全運休
・列車交換のはずが対向列車がいないので無い
・1度通過させたはずの貨物列車がもう1度やってくる

ともはやダイヤが無に等しい状況へ。事故発生時の映像に自分の後ろ姿が映っていたそうですが、誰がどう見ても「やらかしてうろたえる人」な上に何一つ否定する事ができません。

各地の輸送指令やターミナル駅の皆様により徐々に混乱は収まっていきましたがそれでも早朝の遅れの余波は遠く秋田まで及び、終始ダイヤが乱れる原因を作る結果となりました。終戦直後の時刻表に

「一人の粗相 万人の迷惑」

と標語が掲げられていましたが、もはやそれを体現したと言っても過言ではありません。

余談ですが本来であれば午前中にEH800の試運転が予定されていたものの来なかったので、終車通過後に「あれは何だったのでしょう」と他人事のように前後の駅と話し合っていたところ自分のせいで運休になっていたと判明。

【現行ダイヤ②】
・担当:上磯駅(上下)
・本数:下り23本/上り23本
・通過列車:あり
・退避列車:なし
・当駅始発:あり

1番目のダイヤに臨時列車などが追加されるお決まりの流れで、上磯駅でも1本だけ列車が増えます。とりわけ津軽海峡線はさほど本数が変わらなかったのもあって大きな乱れはなく、当駅も前後の駅から介護サポート頂いた事で至ってスムーズに終わりました。強いて言えば5時台に下って15時台に上っていった四季島が小径車輪かつオーバーハングが長いため頻繁に脱線しており、周辺の駅も含めこの高級クルージングトレインの扱いには手を焼いていた様子でした。

2番目のダイヤも無事に終わり、3番目のダイヤに移るための作業が始まりますが、前回の北陸新幹線廃止に続いて今回廃止されたのは北海道新幹線。
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新函館北斗というのかい?贅沢な名だねぇ 今からお前の名前は渡島大野だ、いいかい、渡島大野だよ
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新幹線と同様に使用しないためトレーに入れられて机の下に隠されるEH800たち。彼らは2016年の北海道新幹線開業まで地中で羽化の時を待つそうです。
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更に現行ダイヤ①でやらかした場所には無事にでっど・ざ・ろっく!の看板とともに結束バンドのメンバー4人が並べられてしまいました。ダイヤ通りに下り列車を「北、行くよ」させた結果ここで上り列車へダイブしてしまい、駅担当は顔面崩壊しながら終電までポイントを操作していたわけです。

【白鳥ダイヤ】
・担当:上磯駅(上下)
・本数:下り32本/上り32本
・通過列車:あり
・退避列車:なし
・当駅始発:あり

文字通り特急白鳥/スーパー白鳥が青函連絡を担っていた2014年頃を想定のダイヤですが、現行ダイヤ②で感覚と若干の自信を取り戻したところで本数が約1.5倍に激増。更に白鳥/スーパー白鳥は必ず北斗/スーパー北斗と接続を取るルールとなっていたので遅延するリスクも高い状態に。一層張り詰めた空気が
函館湾周辺を覆いつくします。

結果から言えば五稜郭駅と函館駅との連係プレーにより札幌方面・青森方面から遅れ列車がやってくる中でも絶妙なタイミングで特急列車たちが接続していき、その様に呆気にとられながらひたすらやってくる列車を捌くといった1日になりました。1回目の反省からこまめに五稜郭駅の様子を見つつ下り列車を入線させてよいかの確認を取る事に努めましたが、ちょうど背中合わせとなる位置関係かつ機関車交換作業など非常に作業量の多い駅だったのでその調整で難儀したものです。

何はともあれ最後の下り列車(83レ)を通過させた事でダイヤ運転を完遂……させたと思いきや札幌行きのはずの急行はまなす(201レ)がなぜか江差線へ進路を変えてこちらへ向かってきたので、自然な流れでストップレールを操作して上磯駅で停車。ただ時刻は0時半を回っており、他線でも概ね終車が発射した後だったので
またあの駅か」という視線がトンネルに生えた氷柱のごとくグサグサと刺さっていきました。
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これにてダイヤ運転3回は終了となり、各駅担当からの挨拶を経て18時過ぎから撤収作業が開始。この間に凄まじい勢いで車両の回収・電池外し・持ち主ごとの仕訳と作業が進んでいき、レイアウト撤去と合わせても21時前には完了。最後に天通団団長であるじょーがさきABCさんへの謝罪会見を経て挨拶した後に会場を後にしました。
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「レイアウトに弘前駅があったから」という理由だけで夕食は松屋。いつか答え合わせと称して弘前高田店にも訪問したいものです。

さて全体を通した感想ですが、その前にまず
1回目のダイヤの下り始発から事故を起こしてしまい大変申し訳ございませんでした。
前回もミスが無かったわけではありませんでしたが、今回はしかも事前に解説のあった注意点を見事に見過ごしてしまったというのが面目ない限りです。

本題に戻りますが、ダイヤ運転に限らず北海道新幹線と在来線が共存するレイアウト自体見てみたかったというのもあり、設営の時点から既に役得以外の何物でもなかったように思います。それと同時に前後に単線区間を抱えながら奥津軽いまべつ/木古内から新幹線を縫うように走る海峡線貨物がいかに複雑な環境にあるのかをプラレールを通じて知る機会となり、「国民的システムトイ」の奥の深さをより痛感しました。改めて今回このような機会に立ち会わせて頂き、本当にありがとうございました。

最後に今回のダイヤ運転で起きた事象について原因分析ならびに対策案を作成しましたので、以下の通り報告すると共に本文の結びとさせて頂きます。

[事象]
誰がどう考えても間違えない箇所で操作を誤る
[原因分析]
2時間睡眠で参加してしまい集中力が散漫となってしまったため
[対策]
前日は強行で作業をせずに寝る
[コメント]
前回の教訓から反省するどころか悪化していますが何をしているのでしょうか。考え直すべき事があると思います。

[問題点]
なぜかアクシデントが毎回上磯駅で起こる
[原因分析]
他駅起因であっても事故の発生現場となったので何か"持っている"と思われる
[対策]
ダイヤ運転開始前に駅周辺を塩で清める
[コメント]
輸送の安全は神頼みで守られるものではありません。

昨年5月の東日本新幹線運転会から10か月。今度は天通団さん主催で仙台以北の新幹線ダイヤ運転会が開催され、ありがたくも再びお誘いを頂いて参加してきましたのでその模様について書いていきます。

というものの今回は10月頃からオブザーバーとして事前から参加し、車両の選定などお手伝いをさせて頂いておりました。なぜ北海道に住んだ事のない埼玉在住者が北海道監修の1人だったのかは謎ですが。
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これは11月に開催された事前打ち合わせの模様。「きりたんぽ鍋食ってるだけじゃねえか」と言われそうですが、沿線の名産を食す事で理解を深めるという大きな意義があります。[何の?]
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という事でやってきました埼玉県県民活動総合センター。「けんかつ」の略称で知られるも、相変わらずダイヤ運転以外で行った事は無い気がします。なおここから約5kmの位置に一大プラレール供給源であるトイプラネット桶川店もあるため、これらをハシゴする事で「ケンカツプラネット!」する事も可能です。
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エントランスの大型モニターに映し出される「模 型 運 転 会」の文字列。模型のために部屋3つ借りる人っているんだなあ(遠い目)

9時半頃から班分けが始まり、続いて全体説明がありましたがその中でも大きな反響があったのがこちら↓
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いや…まさか書きおろしイラストでポスターが作られるとは想像もしていませんでした。某グリーン車で配布される雑誌より時代の先端を行く運転会を見た気がします。

続いて班単位に分かれて打ち合わせ。設営で担当する事となったのは岩手県と青森県(新青森駅以東)を擁する第三工区で、しかもレイアウト全体の起点となる青森駅があるため少しのミスでも及ぼす影響は計り知れず。緊張が走ります。

更に任命されたのは"アドバイザー"なるレールの種類や用法を指南する役職で、条件は「プラレールに詳しい人」との事。いや私は四半世紀くらいの経験しかないのであまり自信はありませんが……
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最初の手順として配置された机の上へ指示通り位置決めをした上でストップレールを設置。これが青森駅の終端で、前述の通りここがレイアウトの始まりなので責任重大です。記念に撮影しましたが、万が一後で間違っていたと判明した場合はこれが証拠になってしまいますね…
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ちなみにこれが実物で、埠頭の先端まで線路および架線が延びている事が確認できます。

この後に伝統芸能である起工式が行われましたが、画像修正が手間なので後日レポ動画で一部始終が観られるはずなので割愛。
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それでこのような感じでレイアウト敷設が始まっていきます。資材センターを用意して資材担当が適宜そこから必要なレールをカゴで補給する方式は効率的だと思ったので今後他所でも応用できそうです。

なおアドバイザーとは言うものの工区に集まったのが経験者多数であったためトラブルが全く起きないままレールが敷かれていき、なんと12時前には本線が新中小国から盛岡まで全通してしまうという驚異的な早さ。これにより全5区のうち最速で昼休みに入る結果となりました。
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例によってINAKITCHEN by 銀座ライオンさんで昼食。昼休みに入った工区ごとに入店するも必ず1名はビールを飲めない事を嘆いていたのが印象的でした。これは今後もご利用……
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…と思ったら入口には閉店を知らせる貼り紙が。もし次回ここでダイヤ運転があったとしてもありつけないのはさみしい限りです。
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会場へ戻る前に資材センターへ寄ったらターフエコレールの上をラッピングの山手線が周回していました。ここでも見たことがありましたし、最近の流行なのでしょうかね?

13時前から午後の作業が始まりましたが、作業員の皆様が優秀だったがゆえに想定以上の進捗で
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「やる事なくなっちゃいましたね……」
「とりあえず敷いた線路の点検でもしますか……」

と点検をしてみたり、他の工区と駅を入れ替えながら色を揃えたりと雑談と雑用の両方をこなしていきました。

なお他の工区もペースは順調だったようで、15時過ぎにはレールの敷設はほぼ完了。電話線が敷設されてゆく中で車両による試運転も始まります。

電話線?いや間違っていませんよ、本当に引いていましたので
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試運転と言うからにはやはりそれなりの車両を用意しないといけませんからね。なおこのマヤ34に加えてEast i、East i-D、マヤ35と検測車が計4編成稼働して線路の平和を守っておりました。

その後は撮影タイムと称して持ち込まれた車両たちで任意の撮影会を各地で開催。
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まずは担当した青森駅から。なぜかプラレール運転会の題材に選ばれる事が多く、最近ではここでも採用されていました。扱う頻度が高いという事は合わせるための改造車も多いのでこの通りホームも役者揃いです。
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跨線橋からのアングルでも1枚。時間軸はおろか会社境界までを超えて733系のはこだてライナーがやってきていました。
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今回の雑再現駅たち。レイアウト図に入っていないので駅名標も手書きです。まさか我が家のとてもいなかのえきがここで活躍するとは……

ここから函館方面は新幹線でも1時間程度かかりますがそこはダイヤ運転会、徒歩1分で対岸の函館方面に向かいます。
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既に多数の貨物列車がひしめいていた五稜郭駅。うち数両は今回ダイヤ運転用として自分が提供したもので、持ち込んだ24両中20両がコンテナ貨車という謎の陣営でした。
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青森駅と負けず劣らずな解像度の函館運輸所。キハ261やキハ281の増結車が塊になって留置されている様など、実物へ行った事のある人々を唸らせるクオリティに。
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これ!!函館駅2012!!!お前しか勝たん!!!!

つい感情が言動に表れてしまいましたが、勢いがあった頃の函館駅が再現されており10年前の思い出話を語り合う場と化していました。以下が実際に2012年9月に撮影した写真ですが、この通り完全に一致と言っても過言ではないでしょう。
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変わってこちらは江差線内を検測するDE15+マヤ34+DE10の3連。江差駅で機回しができないためこのようにプッシュプルで運用していたのが特徴でしたね。
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あったかもしれない世界線。なお江差線の木古内以北は廃止された後の時代設定だったのでレイアウトには含まれていませんでした。
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青函トンネルを本州方面へ走行する試運転列車。2015年に行われた風圧試験の再現だそうです。
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青函トンネルを上と中から撮影した写真たち。鉄建公団制作のドキュメンタリーを観た事のある人ならわかるのではないでしょうか。まだ観ていない人はJRTT公式チャンネルに上がっているので是非観ましょう。


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蟹田駅で待避していたさくらエクスプレス。最近いよいよ「こんなの知ってる人いないだろ」とは言えないくらいメジャーな存在になってしまいましたね。
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こちらも妙に車両が充実の青森車両センター、かなり珍しいはずの485系かもしかが平然と並んでいるのはさておき、左端には209系の姿まで……
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青森駅まで帰ってきたらブルジョワジー専用の駅へ化けていました。上野発の夜行列車に降りるためには札束を差し出さないといけない時代です。

そろそろ「秋田とか仙台の写真は無いの?」と突っ込まれそうですが、やはり青函間に愛着があった事に加えて部屋いっぱいに机が並べられており他のエリアへの移動が少々難しかったという事情もありました。でもやっぱ北海道好きなんでしょ?それはそう

…で結局2時間弱写真を撮り続けていたのですが、その中でも一番印象的に残っているのがこちら↓
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函館駅を駅舎側から俯瞰した写真ですが、実はこれ…
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JRイン函館からのトレインビューの再現です。これもここで1回やった事があったのですが経験者が多いのかやはりウケはいいですね。2日目はJRイン視点でビデオカメラが設置されていたそうなのでレポ動画が楽しみです。

撮影を終えた後にしばらく入口のロビーで雑談をしていたのですが、いつの間にかフリー運転が始まってしまい担当も無いので解散まで何一つ参加できないという体たらくに。この時は「ま、まあ前回の経験はあるし…」などと不確実な根拠を元に正当化していましたが、慢心というものはだいたいツケとして返ってきます。
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21時に解散となり最後に参加者たちが去った後のレイアウトを撮影して撤収。さすがにこの時間になると飲食店も限られてくるのでどこか店を探さないといけないところ…
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美味しいラーメンを見つけたので入店。相変わらず太くて強くてまっすぐな麺の力で元気があふれてきました。

本来ならそのまま翌日に備えて十分睡眠をとるべきなのですが、帰宅後に別の案件の作業を進める必要があり結局就寝したのは朝の5時半。たったの2時間睡眠でダイヤ運転本番に挑む事になるのですが、これが後々悲劇へと繋がってゆくのです。

次回へ続く

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